
Illustration : SEIGOFUKUDA
アウトドア女子のファッションスナップをひたすら掲載し続ける『OFガール』(学研パブリッシング)はそのひとつである。
http://www.amazon.co.jp/dp/4056059772/
誌面を開くと、野外フェス「スプリング・ラヴ~春風」(4月・代々木公園開催)を訪れたオーディエンス(主に20代の女子)が飛びこんでくる。彼女たちはカラフルな色使い、こなれた重ね着テクニックを駆使して、フェス空間を軽やかに闊歩している。
「若い子はお金がない」
とはよく言われる。
だが、プロフィール欄に書かれたコーディネイト総額は2万円から4万円が多い。バックパックやランタン、野外で必要なギアを揃えていったら「10万円は使っていました」という若者も珍しくないだろう。この意味で現代のフェスは祝祭空間であると同時に、立派な消費空間であるとも言えるのだ。
異論が出るかもしれない。野外フェスという文化領域が消費活動に取り込まれてよいのかと。
しかし、これまでのストリート(ユース)文化の多くは(若者の)消費活動と密接な関係を持ってきた。使う額の問題ではなく、スケボーをやっている仲間の場所に行ってカッコいい板やスニーカーを見て、同じものを買うかどうかはさておき、「僕も(私も)」と触発される構図は高機能のレインウェアを見て「僕も(私も)」と触発されるフェスでの一場面と同じなのだと思う。
そんな現代フェスファッションは、ゆるくて軽く、素朴なマインドを持っている。映画『ウッドストック』(1970)に出てくるヒッピー的な出で立ちだって珍しくない。
ところが、ワンポイントでサイケデリックな柄をあしらった小物――たとえばヘンプ製のポーチを持っていたとしても、彼らのマインドはどこか違う。
それはウッドストックの時代と比較すればするほど――90年代、いやゼロ年代前半まで強い引力をもった日本のレイヴ文化圏と比較しても、明らかに違う。
例えば90年代的なレイヴ文化では音楽とダンスを通じた超常体験によって「未来」を見ること、それ自体を信じることに価値が置かれたが、現代フェスに足を運ぶオーディエンスたちにとってサイケデリック的なものは素朴でゆるいファッションの中にとどめられるものであり、その延長線上にあるフェスティバル体験は「いまこの瞬間(足元の現実)」を肯定するためものになっている。90年代までの、新しい体験をすることで未来をつかむ志向性よりも、足元の暮らしを充実させるための「場」が現代フェスであり、フェスファッションはそんな自分を肯定するためのツールになっているのだと感じる。
アウトドアファッション専門誌『ゴー・アウト』(三栄書房)は、複数のフェスで撮ったお洒落キャンパーたちを収めた別冊『ザ・キャンプ・スタイル・ブック』を出している。
http://www.amazon.co.jp/dp/B003TGUH6Y
『OFガール』と同じようにフェスで撮ったスナップがメインの内容だが、ここではテントを中心としたくつろぎ空間に焦点が絞られている。余談だが、タイコクラブも撮影現場として登場している。写真脇のキャプションにはこんな一文が添えられている。
「ホワイトがベースのメインギアに、カラフルな小物が存在感を発揮。」
「ティピー村を思わせる、遊牧民的ロースタイル。」
……緑の中にテントや椅子、ラグマットを敷き詰めたテントの前でにっこり笑うオーディエンスたちを見ていると、一昔前のファッション誌で定番になっていた「お洒落インテリア企画」を思い起こさずにはいられない。
野外にいるのに、いまのオーディエンスはまるで自分の部屋のように居心地のよさとファッション性をテント環境に求めているのである。
現代フェスが原宿、青山のような「ストリート化」「インテリア化」したことは、近年の街の変化と関係している。
青山はもちろん、原宿や代官山、あの渋谷ですら、実際に歩いているともはやここに若者の居場所はないように感じる。せいぜいあるとすれば、ひたすら買い物をするだけのファッションテナントかファミレス、コンビニ程度であり、何もしないまま街にとどまることは無意識の負荷を人に強いる。
街はメタボ化し、若者にとって手の届かない代物になってしまったが、野外フェスはまだかろうじて中間地点として存在しているのかもしれない。自然や音楽、ファッションを通じて、「仲間」と近しい価値観を共有するそれは、彼らにとって等身大の魅力を持っている。
そういう空間の中でくつろぐ。ある意味でそれは、自分の部屋以上に居心地がよいことなのだと思う。
社会学者の山田昌弘さんは『なぜ若者は保守化するのか』(東洋経済新報社)でこう書いている。
http://www.amazon.co.jp/dp/4492223010/
「職業や家族にアイデンティティを見いだすことが難しくなっている現在、社会学者のジグムント・バウマンは『消費』と『身体』によって、アイデンティティを保つメカニズムが主流にあると論じている」
自分らしさを保つために「消費」を続ける。それは単なる買い物とは違う。若者がフェスに通い続けることも消費だし、そのためのファッションやギアを買い続けることも消費である。それと同じ理由で、自分が生きている間続く持ち物として「身体」への関心も高まるというわけである。
ここに僕はもうひとつ補足をしたい。フェスファッションが、若者の登山ブームと連動しているのは言うまでもないが、ファッションの中にこめられたマインドは、「消費」「身体」と同じように自分が消えても永遠に生き続ける「自然」に対する関心の高まりなのだろう。
岡本俊浩
1976 年東京生まれ。渋谷宇田川町のレコード店「ミスターボンゴトーキョー」「DMR渋谷店」でのバイト生活を皮切りに音楽業界に入る。以後フリーのライター業。現在はエンタメ系記事から犬猫取材までこなす。主な執筆媒体は、『TVブロス』誌の連載コラム「左手で描いた世界地図」、週刊誌『アエラ』のほか、 季刊男性ファッション誌「アエラスタイルマガジン」では編集担当。世田谷区在住。7月23日にMASSAGE編集部との共著で『野外フェスのつくり方』(フィルムアート社)を出版する。
2010-7-23rd Up





