
Illustration : SEIGOFUKUDA
ひとつは現代フェスの文化評論的な側面だ。2つめはノウハウ的側面から見たフェスのつくり方だ。
実際フェスにやるとなると、仕事は数限りなく発生するだろう。トイレ問題、ゴミ問題……中でも重要なのは音響関係だ。せっかくお気に入りのミュージシャンを招いても、出る音がダメなら話にならないし、野外でサウンドシステムを稼働させるのは、実はリスクと隣り合わせなのだ。
考えてもみれば当たり前の話である。基本的にサウンドシステムは電気製品。野外で鳴らす前提では作られていない。
「雨が降ってもフツーに動いているじゃん」
と思っているそこのアナタ。世の中そんなに甘くありません。
雨が降ろうが風が吹こうが、淀みなくサウンドシステムが稼働するのはそこにプロの「ワザ」があるからに他ならない。
『野外フェスのつくり方』では、キャリア約30年を誇る浅田泰(あさだ・ゆたか)さんのワザに迫っている。プロにとって自らの仕事術は貴重極まりない情報だが、ライター山口浩司くんの取材に対し、浅田さんは惜しげもなく「野外PAのノウハウ」を開示してくれた。
過酷な野外環境でサウンドシステムをセーフティに稼働させるには何が必要か。例えばスピーカーの中心部にはコーンと呼ばれるでっぱりがある。これは紙できている。限度を超えて水に濡れればダメになるし、一回ダメになったら強度は二度と再生しない。それを防ぐためにはどうやってサウンドシステムを動かすのがよいか?
……これ以上書くと紙数が尽きてしまうのでここまでにしておくが、読んでいるだけで機材オンチの僕ですら即席エンジニアになれるのではないか、というぐらいに理路整然とした説明がされている。
浅田さんの存在を知ったのは、もう何年前のことだろう。
それはたぶん、7、8年前のことだったと記憶している。
あの頃、浅田さんは羽田空港を対岸に臨む京浜島にいた。工場と倉庫が立ち並ぶ湾岸の僻地に一軒のレストランがあって、浅田さんはここで何度か行われていた音楽パーティ「ライフ・フォース」のサウンドエンジニアをしていた(同パーティには現在も関わっている)。
大音量を出していた。しかし、浅田さんのつくる音はダンスフロアの中心で友だちと会話することができるほど透明感のあるもので、その場所に一晩耳をさらしても不思議に疲れなかったことに驚いた。
もう5年近く前、僕はそんな浅田さんに当時やっていたネット連載(残念ながらウェブからは現在ロストしている)で長いインタビューをした。
二部構成で仕事術、サウンドエンジニアとしての人生を聞かせてもらったのだった。掲載直前、校正を送った。構成原稿の形はとらず、対話形式に仕上げた。自信満々で原稿を見せると浅田さんはこう言った。
「全然ダメだ。僕が伝えたいことの全てが書かれていない」
正直肩を落とした。けれども、浅田さんはわざわざまる一日を割いて、原稿の直しにマンツーマンで付き合ってくれたのだった。
とりわけ、音響理論でつじつまが合わない点には厳密で、複雑な音響理論をまるで科学の先生のように解説してくれたのを覚えている。それは出版業界でも滅多に出会わない一握りの「トリプルAクラス」の編集者に原稿を直されているような――ライターとしてこの上ない幸福な機会だった。
音の認知を光にたとえて説明してくれることもあった。
「高温で強いピーキーな音が出ていると、そこから下の音が聴こえなくなってしまう(中略)視覚の世界でも起こり得る現象です。強い光を正面から見てしまうと、周りのものが見えなくなってしまうのと同じですね。つまり、高温で出ているピーキーな部分をカットしてやることで(中略)今までは認知できなかった領域が見えてくる。(サウンドエンジニアとしての)作業としてそこがまず、第一段階」
論理だけで押し切る人でもなかった。
いまでも鮮烈に覚えているのが、形をもたない(質量をもたない)音楽は光速を超えられるという話だった。
「一般的に『光よりも速く動くことは出来ない』。こう言われています。ただ、これは既に三菱の資金で、技術者たちが成功させていることでもあるのですが、シンクロトロン(加速器の一種)の内部に定常波を発生させ(中略)そこに原子崩壊のプログラムを載せます。結果、情報のインプットとアウトプットまでかかった距離と時間を測定すると、情報の速度は光速の6倍までいけるらしい(後略)」
光よりも速く動くことができる音楽。浅田さんは「ここはあまりニューエイジ的に捉えないで聞いて欲しい」「科学的に証明された話ではないけれど」と付け加えた上でこう言った。
「古くは音楽というのは『神の世界』といったら大袈裟かもしれないけれども(中略)三次元ではない世界と繋がる為にありました」
「人間にとって音楽というのは時空を超えさせてくれる可能性を秘めているんじゃないかと考えます」
学者肌の人に感じるかもしれない。だが、浅田さんは自らを、
「日本で最もタフなサウンドエンジニア」
と自負している。約30年に及ぶエンジニア稼業で自らの責任で音を止めたことが一度もない。大雨、台風、時には雪……どれだけ劣悪な環境でも止めたことがないのだという。SF的な感性があるかもしれないが、それは過酷な現場で地に足のついたワザとして鍛え上げられた代物でもあるのだ。
若い頃はべ平連の反戦フリーコンサートの裏方を務めたことがある。チェルノブイリ原発事故に対するプロテスト野外フェスでもあった「いのちの祭り」(88年)にも関わっている。日本語ロックの夜明けから80年代のヒッピー文化を経て、日本レイヴ文化の最初期にも「ライフ・フォース」を通じて関わっている浅田さんは、50代後半のいまも現場の第一線を走っている。
日本の野外フェスは世代を超えた文化プラットフォームになっている。僕はそのことを、サウンドエンジニア浅田泰さんを通じて知った。
岡本俊浩
1976 年東京生まれ。渋谷宇田川町のレコード店「ミスターボンゴトーキョー」「DMR渋谷店」でのバイト生活を皮切りに音楽業界に入る。以後フリーのライター業。現在はエンタメ系記事から犬猫取材までこなす。主な執筆媒体は、『TVブロス』誌の連載コラム「左手で描いた世界地図」、週刊誌『アエラ』のほか、 季刊男性ファッション誌「アエラスタイルマガジン」では編集担当。世田谷区在住。7月23日にMASSAGE編集部との共著で『野外フェスのつくり方』(フィルムアート社)を出版した。
2010-8-2nd Up





