タイコクラブ | よむフェス #5「なぜスピリチュアル?」 

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よむフェス #5「なぜスピリチュアル?」


Illustration : SEIGOFUKUDA
野外フェス空間を歩いていると、しばしば僕らは「スピリチュアル」な事象に出会う。
例えば会場の近くに「パワースポット」があれば、ご利益にあやかりたいといってみんなで出かけることはごくフツーのことだ。有名パワースポットの岐阜県・養老天命反転地は過去に野外フェスの会場として使われた。
今年の8月に、神奈川県相模原市旧藤野町で行われた「ひかり祭り」は、エコロジーの観点から里山の長屋をシェアする試みをアナウンスする一面を持つ一方、スピリチュアルをいたるところにまとっていた。
マーケットエリアの一角では、「ZENタロット」の売り文句で若い男子が占いブースを出していた。それにしても普通のタロットではなく、なぜZENなのか。占い男子の名前なのか、あるいは禅の概念を取り入れたものなのか……それはさておき、彼の店は3名の女子に囲まれる繁盛ぶりだった。その斜向かいでは、「旧暦は地球を救う」と書かれたブースが出ていた。旧暦とは地球、太陽、月の位置関係や満ち欠けを元にした「宇宙暦」を表すらしい。
別の一角では、『生命の誕生と浄化の日まで』と名づけられたミニコミ誌が売られていた。これはアメリカインディアンの指導者による現代文明に対する戒めから予言が書かれた本で、翻訳者を北山耕平が務めている。
科学万能主義、効率最優先主義があるいま、この手の文化はしばしば「ウサン臭いもの」「現実を直視していない」として批判の対象になる。
誤解のないように言っておきたいが、何も僕はスピリチュアルが正しいとか間違っているとか、そういう話をしたいのではない。いまなぜ、スピリチュアルなのかと、考えてみたい。ただそれだけなのである。


スピリチュアル。しばしば世間はこの言葉尻から「宗教」に近いイメージを受け取るが、その手の野外フェスで見られる風景は自分を殺して信仰対象に帰依するハードコアな代物ではない。それは「スピリチュアルが繋ぐ優しい空間」とでも言うべき代物だ。
一時期、僕の周辺でマヤ暦が流行ったことがあった。これは古代マヤ文明の暦に従ったもので、自分の生年月日にマヤ式の数式を当てはめると、例えば「KIN45」などマヤ式誕生日がわかるというものである。誕生日には宇宙のエネルギーが流れていて、それを感じることで精神の封印がとかれる……マヤ暦アドバイザーのサイトの文言を要約するとこうなるわけだが、あるDJの知人も、ミクシィのプロフィール欄に「KIN●●」を載せていたのに僕は驚いた。ある日、僕はこう聞いた。
「何でああいうことを書いたの?」
「いや(笑)、ノリですよ。だって、みんな書いているじゃないですか」
あの頃のマヤ暦ブームを思い返す。中には、近々太陽系の惑星が十字の形になるから、地球に大災厄がもたらされる――とまでネットに書き込む人もいたが、多くはDJの知人がそうだったように、単なるノリ。友だちがハマっている。なら私も……そういう代物だったと感じる。要するに、コミュニケーションを円滑に回すためのネタに近い性格をもっていたのだろう。パワースポット巡りにしても、誰かと出かけるための口実としてはかなりうってつけだ。

ところが、その一方でスピリチュアルは会話ネタにとどまらない、強い引力を発揮しているように思える。でなければ、これだけその筋の書籍が売れたり、人生の大切な決断(結婚、転職、引っ越しなど)を占いやセラピストの助言に頼る人が続出することもないはずだ。
それにしてもなぜ、そうなるのか?
精神科医・香山リカによる『悪いのは私じゃない症候群』(KKベストセラーズ)は、近年過熱する一方だった成果主義、競争主義に端を発する自己責任論の裏返しとして社会に蔓延する――悪いのは私じゃない――すなわち「他罰主義」について書かれたものだ。

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人間関係や雇用環境が流動的になるいま、個人のアイデンティティは常に不安定だ。誰もが少し手を滑らせただけで、谷底に転落しかねない実感を背負いながら生きている。
「足の引っ張り合い」
「足をすくう」
ここしばらくこんなフレーズを目にすることが増えた。誰かがつまずけば、一気呵成に叩いて引きずり降ろす。そんなムードがこれらの言葉の登場回数を増やしているのだと思う。
だが、仮に誰かを引きずり下ろしたところで、自分が安泰でいられる保証はどこにもない。映画評論家/コラムニストの町山智浩は、著書『カニバケツUSA』(太田出版)の中でアメリカ社会を「カニバケツ化している」と書いたが、いまや日本もそう変わらないように思える。

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バケツにたくさんの蟹を入れる。蟹はバケツの外に出ようと攀じ登るのだが、後ろから別の蟹に引っ張られて転落する。それが延々と繰り返される社会が「カニバケツ社会」なのだという。
勝ち上がっても、常に不安を感じる。むしろ勝ち上がれば上がるほど、転落の高度は上がるからより強い不安に囚われることもあるだろう。
ドラマ『白い巨塔』(2003年~04年放映/フジテレビ系)でガンに冒される製薬会社勤務のOLを演じた木村多恵は、泣きながらこんな一言を漏らす。
「ライバルはいても、友だちはいないんです」
『悪いのは私じゃない症候群』には、近年診療室を訪れる患者の変化が書かれている。それは投薬などの西洋医療に対して、拒否反応を示す患者が増えているということだ。むしろ、気功や整体などの東洋医学を選択し、中には占いや前世療法で治療しようとする人が増えているとある。占いや前世療法といった治療の中では、あなたに原因があるわけではない。「前世」や「宇宙」にその原因がある――そう諭すケースもあるという。
科学的な根拠と社会的な承認をもつ西洋医学ではなく、なぜスピリチュアルに解決作を求めるのか? 僕は精神科医でもなければ心理学者でもない。軽々しくこんなことを書くのはよくないことなのかもしれないが、そういう人は終わりなき競争に勝利するための有象無象の正論で埋め尽くされた世の中に、どこか疲れてしまっているのではないか。これだけ正論とモラルが幅をきかせる世の中であるにも関わらず、一向に暮らしやすくはならない。むしろ糸はさらに絡み合い、難解な方程式に変容し、その重力は増すばかりだ。もはやこれは、個人がどうこうして解決できる代物ではないようにも思える。
だからといって霊的な、超常的な世界に解決を求めるというのはどうなのだろうか。「思考停止」だとして批判が行われるのも、正論の側から考えると無理もないだろう。

僕自身は、前世にも関心がないし、パワースポットは「いい景色の場所」であると認識していて、いまだかつて占いに金を払ったこともない。予言の類も、自分が生きる上で必要だと感じたためしはない。
だが、友人からスピリチュアルな話題を振られても、鬼の首をとったように言い負かすことには呵責の念が湧く。
彼らからそれを取り上げた時、正論で武装する社会(僕自身)には代わりに何が残されているのだろうかと。こう考えるからだ。
いま、進化をとめようとしない科学や医療技術の進歩がある。明らかに人間は死から遠くなり、個人の自由領域は近代と比べると格段に拡大した。そう、これは多くの人が望んだ未来であるはずだ。
しかし、この世界が果たしてハッピーであるかどうか。この問いに首を縦に振る自信が僕にはない。だからスピリチュアルと言う気はさらさらさらないが、片目で現実を見て、もう片方でスピリチュアルを見る。そういう振る舞いは現代社会を生き抜くひとつの作法としてアリではないかと考えるのだ。

岡本俊浩
1976 年東京生まれ。渋谷宇田川町のレコード店「ミスターボンゴトーキョー」「DMR渋谷店」でのバイト生活を皮切りに音楽業界に入る。以後フリーのライター業。現在はエンタメ系記事から犬猫取材までこなす。主な執筆媒体は、『TVブロス』誌の連載コラム「左手で描いた世界地図」、週刊誌『アエラ』のほか、 季刊男性ファッション誌「アエラスタイルマガジン」では編集担当。世田谷区在住。7月23日にMASSAGE編集部との共著で『野外フェスのつくり方』(フィルムアート社)を出版した。
 

2010-8-18th Up 



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